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東京高等裁判所 平成2年(行ケ)77号 判決

原告 株式会社国際知的所有権研究所

被告 有村国孝

主文

本件訴えを却下する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた判決

一  原告

1  特許庁が、同庁昭和六三年審判第九五三二号事件について、平成元年一二月二一日にした審決を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

(主位的申立)

主文同旨

(予備的申立)

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

第二請求の原因及び原告の主張

一  特許庁における手続の経緯

被告は、発明の名称を「識別カード」とする特許第九四〇五四八号の発明(昭和四五年三月三日出願、昭和五三年三月八日出願公告(特公昭五三―六四九一号)、昭和五四年一月三〇日設定登録。以下「本件発明」といい、その特許を「本件特許」という。)の特許権者であったが、右特許権は平成二年三月三日、存続期間の終了により消滅したものであるところ、原告は、被告を被請求人として、昭和六三年五月二三日、特許庁に対し本件特許を無効とすることについて審判を請求した。

特許庁は、右請求を同庁昭和六三年審判第九五三二号事件として審理の上、平成元年一二月二一日「本件審判の請求は、成り立たない。」旨の審決をし、その謄本は平成二年三月一二日原告に送達された。

二  本件発明の要旨

能動素子を含み外部からの入力に応答して識別用の新たな信号を発生する集積回路を識別装置として本体に埋設して成る識別カード。

三  本件審決の理由の要点

本件審決の理由は、別紙審決謄本写し理由欄の記載のとおりである。

四  本件審決の取消事由

本件審決は、本件発明の特許請求の範囲の記載は、昭和五〇年法律第四六号による改正前の特許法第三六条第五項の規定を満たしていないものであるのに、右規定を満たしていないとはいえないと判断を誤り、本件発明の発明の詳細な説明及び図面の記載は、昭和六〇年法律第四一号による改正前の特許法第三六条第四項の規定を満たしていないものであるのに、右規定を満たしていないとはいえないと判断を誤り、公告された明細書は、特許法第四〇条の規定に該当する場合であるのに、右規定に該当するものではないと判断を誤って、本件発明の特許出願日は現実の出願日であるとして、右規定によって特許出願がされたものとみなされるべき手続補正書を提出した時より前に領布された引用例の記載内容を検討するまでもなく、引用例を以って本件発明が特許法第二九条第一項第三号又は同法同条第二項に該当するものとはいえないと判断を誤った結果、本件発明を無効とすることができないと誤った結論に至った違法があるから取り消されなくてはならない。

その詳細は、別紙原告平成二年七月四日付準備書面(第一回)写しのとおりである。

五  本案前の主張に対する原告の主張

1  原告には、本件訴えの利益がある。

(一) 原告のした、本件特許を無効とすることについての審判請求は成り立たないとした本件審決が存在する以上、本件特許の存続期間が終了しても、原告には本件審決の取消しを求める訴えの利益がある。

(二) 原告は、特許戦略コンサルタント業を営んでいるものであるから、東京高裁昭和四二年一一月二八日判決(審決取消訴訟判決集昭和四二年三頁)が特許無効審判請求の利害関係人の意義について示した、「当該特許発明と何らかの関連ある事業を営む者」であり、「無効とされるべき特許発明が、特許され保護を受けることによって不利益を被るおそれのある者」に当たる。

具体的には、本件特許明細書のような記載不備の明細書が有効か無効かを明らかにすることによって、原告が特許コンサルタントを行うに当たって明確な意見を述べることができる。即ち、本件特許明細書のような記載では、特許が無効であることを明確にする利益がある。

2  なお、本件特許権をめぐって、本件争訟以外に、特許権者であった被告又は第三者と原告との間に具体的に紛争が生じた事実も、原告が、本件特許権について専用実施権、通常実施権等の権利を有していた事実も、本件特許権をめぐって、被告又は第三者との間で何らかの契約関係にあった事実もなく、また、原告が、これまでに、本件特許権の侵害にあたる可能性のある行為をした事実もない。

第三被告の本案前の主張

原告には、本件請求について訴えの利益はなく、本件請求は却下されるべきである。その理由は次のとおりである。

一  特許庁における手続の経緯は請求の原因一のとおりであり、本件訴訟提起当時、本件特許は、存続期間の終了により消滅していた。

二  原告は、特許戦略会社と称し、特許コンサルタント業を行っているとしているが、少なくとも本件特許を自ら実施するものではない。

本件特許権をめぐって、本件争訟以外に、特許権者であった被告又は第三者と原告との間に具体的に紛争が生じた事実も、原告が、本件特許権について専用実施権、通常実施権等の権利を有していた事実も、本件特許権をめぐって、被告との間で何らかの契約関係にあった事実もない。

原告は、本件特許の存続期間の終了まで、本件特許の実施をしたことはなく、本件特許の存続期間が終了した後である現在は、本件特許権の消滅により本件特許の実施は自由である。過去、現在、未来にわたって、本件特許権侵害による法律上の責任を負担する必要のない原告は、本件審決の取消しを必要とするだけの利害関係を有しない。

即ち、本件審決が取り消されても、原告の法的地位には何の変化もない。

本件審決取消訴訟の対象は本件特許に関する本件審決に係るものであって、一般的な明細書の解釈基準を左右するものではない。原告の主張する訴えの利益は具体性を欠く。

三  原告は、本件審決で敗れた当事者ではあるけれど、そのことによって当然に本件訴訟の訴えの利益を肯定することができず、かえって、前記の事実関係によれば、原告は本件訴訟提起について訴えの利益がないものである。

第四請求の原因に対する認否及び被告の主張

請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(本件発明の要旨)、三(本件審決の理由の要点)は認め、四(本件審決の取消事由)は争う。本件審決の認定判断は正当であって、原告主張の違法事由はない。

別紙原告平成二年七月四日付準備書面(第一回)写し記載の原告の主張に対する認否、反論は、別紙被告平成二年八月二七日付第二準備書面写しのとおりである。

第五証拠関係〈省略〉

理由

一  本案前の主張について

1  本件訴えは、原告が請求した、本件特許を無効とすることについての審判請求は成り立たない旨の本件審決の取消しを求めるものであるから、特許法第一七八条第二項の規定により、原告が当事者適格を有することは明らかである。

しかし、そのことから当然に原告が本件訴えについて、訴えの利益があるということはできない。

即ち、原告の請求に係る本件特許無効審判請求は成り立たないとした本件審決は、形式的には原告に不利益な行政処分ではあるが、審決取消訴訟の訴訟要件としての訴えの利益は右のような形式的な不利益の存在では足りず、本件審決が確定することによりその法律上の効果として、原告が実質的な法的不利益を受け、又はそれを受けるおそれがあり、そのため本件審決の取消しによって回復される実質的な法的利益があることを要するものである。

したがって、特許権の存続期間中であれば、無効とされるべき特許発明が、特許され保護を受けることによって不利益を被るおそれがあるとして当該特許を無効とすることにつき、審判請求は成立しないとした審決の取消しを求める訴えの利益が認められる者であっても、当該特許の有効か無効かが前提問題となる紛争が生じたこともなく、今後そのような紛争に発展する原因となる可能性のある事実関係もなく、特許権の存在による法的不利益が現実にも、潜在的にも具体化しないままに、当該特許権の存続期間が終了した場合等には、当該特許の無効審判請求は成立しないとした審決の取消しを求める訴えの利益はないとされるというべきである。

2  そこで、本件訴えの利益について更に検討する。

請求の原因一(特許庁における手続の経緯)が当事者間に争いがないこと及び成立について当事者間に争いのない甲第二号証(本件特許に係る特許出願公告公報)によれば、本件特許は、昭和四五年三月三日に出願のもので、昭和五三年三月八日出願公告(特公昭五三―六四九一号)され、昭和五四年一月三〇日設定登録を経たもので、平成二年三月三日、存続期間の終了により消滅したものであること、原告は、被告を被請求人として、昭和六三年五月二三日、特許庁に対し本件審判を請求したところ、特許庁は、平成元年一二月二一日「本件審判の請求は、成り立たない。」旨の審決をし、その謄本は平成二年三月一一日原告に送達されたものであることが認められる。

また、本件訴状が当裁判所へ提出されたのが、平成二年三月二三日であることは、本件記録上明らかである。

さらに、原告が特許コンサルタント業を営む会社で、本件特許権をめぐって、本件争訟以外に、特許権者であった被告又は第三者と原告との間に具体的に紛争が生じた事実はなく、原告が、本件特許権について専用実施権、通常実施権等の権利を有していた事実も、本件特許権をめぐって、被告との間で何らかの契約関係にあった事実もないことは、当事者間に争いがなく、また、本件特許権をめぐって原告が第三者との間で何らかの契約関係にあった事実はなく、原告が、これまでに本件特許権の侵害にあたる可能性のある行為をした事実もないこと及び原告が本件訴えの利益を有する事由として原告が主張するのは、前記事実欄第二(請求の原因及び原告の主張)五(本案前の主張に対する原告の主張)1の(一)、(二)記載の2点に限られることは、原告の自ら認めるところである。

以上の事実によれば、本件特許権の存続期間中に、原告について、本件特許が有効か無効かが前提問題となる紛争が生じたことも、今後そのような紛争に発展する原因となる可能性のある事実関係があったこともなく、本件特許権の存在による原告の法的不利益が具体的なものとならないままに、本件特許権の存続期間は終了したものである。

したがって、現在においては、原告は、本件特許を無効とすることについて法律上の利益を有するものとは認められず、本件審決は、原告に実質的な法的不利益を与え、あるいは実質的な法的不利益を与えるおそれがあるものとは認められないから、原告は、その取消しを求めることについて、法律上の利益を有するものではない。

特許法第一二三条第二項は、特許権が消滅後であることを理由として特許無効の審判請求につき法律上の利益がないとすることはできないとの趣旨であり、右判断を左右するものではない。

3  原告は、特許戦略コンサルタント業を営んでいるので、本件発明と何らかの関連ある事業を営む者であり、「無効とされるべき特許発明が、特許され保護を受けることによって不利益を被るおそれのある者」に当たる旨主張し、具体的には、本件特許明細書のような記載不備の明細書が有効か無効かを明らかにすることによって、原告が特許コンサルタントを行うに当たって明確な意見を述べることができ、本件特許明細書のような記載では、特許が無効であることを明確にする利益がある旨主張する。

しかし、本件特許明細書のような記載不備の明細書が有効か無効かを訴訟において明らかにすることができず、原告が特許コンサルタントを行うに当たって明確な意見を述べることができないこと、本件特許明細書のような記載では、特許が無効であることを明確にできないこと等は、特許明細書の記載方法についての裁判所の判断が得られないという事実上の問題に過ぎず、本件審決が確定することによりその法律上の効果として、原告が実質的な法的不利益を受け、又はそれを受けるおそれがあることには当たらない。

4  なお、本件審決は、「審判費用は、請求人(原告)の負担とする。」との結論を含むものであるから、この限りでは、本件審決が確定することによりその法律上の効果として、原告は実質的な法的不利益を受けるものといえる。しかし、審判費用の負担についての審決は、審判における本案に付随してされるものであり、審判における本案との関係では訴えの利益を具備せず、訴訟において本案審理を行う必要がない場合においても、審判費用の負担の結論が含まれることから、本案の審理を行い、本案判決を行う利益があると解するのは本末転倒であって、審決に審判費用の負担の結論が含まれることを理由に、審判の本案についての訴えの利益が否定される場合であっても、本件訴えについて訴えの利益を具備するものということはできない。

二  よって、本件訴えは訴えの利益を欠き不適法なものであり、かつその点を補正することもできないから、本件訴えを却下することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 元木伸 西田美昭 島田清次郎)

別紙審決謄本写し等〈省略〉

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